2月22日は「竹島の日」です。政府は今年も県主催式典に政務官を派遣するようですが、領土担当相がいながら政務官とは、竹島を不法占拠する韓国に配慮したのでしょうか。自民党の総選挙の公約が竹島の日を、建国記念日、主権回復記念日ととともに政府主催の式典にするということでしたから、残念といわざるを得ません。実は、「竹島の日」も、地元住民の運動に島根県議の有志が呼応して条例制定に至ったもので、当時の政府や国会議員、マスメディアは一貫して冷淡でした。以下は、『VOICE』(平成17年6月号)に寄稿した「竹島の日」制定の経緯です。
2014年2月22日土曜日
2014年2月10日月曜日
都知事選が終わりました!
(1月12日秋葉原)
「僕たちの都知事選!」
みなさん、こんにちは。都知事選は#田母神としお さんの支持者にとっては大変残念な結果に終わりました。田母神さんに投じられた都民の票は生かされなかったわけで、私たちの応援も空振りでした。田母神さんへの投票を煽るだけ煽った私など責任を痛感します。
しかし、田母神さんの応援は、もともと誰に頼まれたわけでもなく、田母神さんの立候補を聞いた後で勝手に参加したものでした。それが東京都のためであり、日本のためになると信じたからです。頼まれるどころか、応援しながら、「...応援させてくれてありがとう」と自然に感謝の思いにさせてくれたのが今回の都知事選でした。
おそらく全国のタモちゃんファンの皆さんも同じ気持ちだったのではないでしょうか。こんな感動を味わわさせてくれた選挙はあるものではありません。
何しろ田母神さんは、「日本はいい国だ。侵略国家じゃない」との論文を書いて、マスコミや政治家に攻撃され、それでも説を曲げずに航空幕僚長を解任されたすごい人なのです。この田母神さんに対しては、安倍晋三首相ですら、元首相時代に、ある会合で三島由紀夫の辞世の句「益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日の初霜」を引用して励ましたことがあるぐらいです。
そのタモちゃんを私たちは今回、選挙で初めて応援することが出来たわけです。「田母神祭り」(ツイッターデモ)などで、どれだけ多くの人が「都民でないのが残念だ」「こんなに都知事選が気になったのは初めでです」と書きこんでいたことでしょうか。
何よりタモちゃんの訴えは、我々日本人への応援歌だったのではないでしょうか。拉致事件があっても知らん顔、尖閣侵略や、「慰安婦」のウソにも怒ることすら出来ない日本に対する叱咤激励です。タモちゃんは、選挙戦を靖国参拝から始めました。そして日本のプライドを取り戻す教育を訴え、外国人参政権への明確な反対を表明しました。そして、胸には常にブルーリボンバッジ。タブーを恐れず原発の再稼働も訴えたのもタモちゃんだけでした。
『永遠のゼロ』の百田尚樹さんが、NHK経営委員のリスクを恐れずにわざわざ関西から駆け付けて、新宿、有楽町、秋葉原で演説してくれたのも、そのタモちゃんにほれ込んだからです。百田さんは「田母神さんは漢(おとこ)だ」と何度も言っていました。
私は、ある時期からは当落を占うよりも(もちろん当選を信じてはいましたが)、全国にこれだけ国を思う仲間がいるのかということに感動していました。ツイッターデモなどを通じて多くの人々の情熱に触れることが出来たからです。
タモちゃんが、秋葉原の雪のなかでの最後の演説で、「日本が大好きだ。東京が大好きです。私を都知事にしてください」と、絶叫したとき感動はピークに達しました。
タモちゃんの訴えは決して無駄ではなかったと信じます。ネットを通じた 田母神支援は大きなうねりとなりました。私どもが行った一回目のツイデモはRTを含めて3万件の書き込みがありました、またニコ生中継と同時実施となったファイナルは一万件以上の書き込みがありました。そして選対が行ったニコナマ中継では10万人の視聴者があり、5万件の書き込みがあったといいます。他の陣営では考えられないことです。
実際の選挙運動でも、街頭宣伝、チラシのポスティングはボランティアによるものでした。その多くはネットから飛び出した私たちの仲間たちです。ポスティングが活発に行われるようになったのは尖閣事件当時からですが、今回は、ポスティング情報をネット上で共有して、そこに1000組以上が登録して自主的に活動したのです。
これが「僕たちの都知事選」でした。
ただ、それにもかかわらず、結果がこうなったにはもちろん真剣な反省も必要だと思います。特に保守の代表選手の立候補に関わらず、安倍首相以下の賛同を得られなかったこと。また保守派の言論人がこぞって参加していたといえないこと。そうしたことが広がりを欠くことにつながった印象もあります。しかし、それ以上に得たものが大きかった。またやりましょう!
「僕たちの都知事選!」
みなさん、こんにちは。都知事選は#田母神としお さんの支持者にとっては大変残念な結果に終わりました。田母神さんに投じられた都民の票は生かされなかったわけで、私たちの応援も空振りでした。田母神さんへの投票を煽るだけ煽った私など責任を痛感します。
しかし、田母神さんの応援は、もともと誰に頼まれたわけでもなく、田母神さんの立候補を聞いた後で勝手に参加したものでした。それが東京都のためであり、日本のためになると信じたからです。頼まれるどころか、応援しながら、「...応援させてくれてありがとう」と自然に感謝の思いにさせてくれたのが今回の都知事選でした。
おそらく全国のタモちゃんファンの皆さんも同じ気持ちだったのではないでしょうか。こんな感動を味わわさせてくれた選挙はあるものではありません。
何しろ田母神さんは、「日本はいい国だ。侵略国家じゃない」との論文を書いて、マスコミや政治家に攻撃され、それでも説を曲げずに航空幕僚長を解任されたすごい人なのです。この田母神さんに対しては、安倍晋三首相ですら、元首相時代に、ある会合で三島由紀夫の辞世の句「益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日の初霜」を引用して励ましたことがあるぐらいです。
そのタモちゃんを私たちは今回、選挙で初めて応援することが出来たわけです。「田母神祭り」(ツイッターデモ)などで、どれだけ多くの人が「都民でないのが残念だ」「こんなに都知事選が気になったのは初めでです」と書きこんでいたことでしょうか。
何よりタモちゃんの訴えは、我々日本人への応援歌だったのではないでしょうか。拉致事件があっても知らん顔、尖閣侵略や、「慰安婦」のウソにも怒ることすら出来ない日本に対する叱咤激励です。タモちゃんは、選挙戦を靖国参拝から始めました。そして日本のプライドを取り戻す教育を訴え、外国人参政権への明確な反対を表明しました。そして、胸には常にブルーリボンバッジ。タブーを恐れず原発の再稼働も訴えたのもタモちゃんだけでした。
『永遠のゼロ』の百田尚樹さんが、NHK経営委員のリスクを恐れずにわざわざ関西から駆け付けて、新宿、有楽町、秋葉原で演説してくれたのも、そのタモちゃんにほれ込んだからです。百田さんは「田母神さんは漢(おとこ)だ」と何度も言っていました。
私は、ある時期からは当落を占うよりも(もちろん当選を信じてはいましたが)、全国にこれだけ国を思う仲間がいるのかということに感動していました。ツイッターデモなどを通じて多くの人々の情熱に触れることが出来たからです。
タモちゃんが、秋葉原の雪のなかでの最後の演説で、「日本が大好きだ。東京が大好きです。私を都知事にしてください」と、絶叫したとき感動はピークに達しました。
タモちゃんの訴えは決して無駄ではなかったと信じます。ネットを通じた 田母神支援は大きなうねりとなりました。私どもが行った一回目のツイデモはRTを含めて3万件の書き込みがありました、またニコ生中継と同時実施となったファイナルは一万件以上の書き込みがありました。そして選対が行ったニコナマ中継では10万人の視聴者があり、5万件の書き込みがあったといいます。他の陣営では考えられないことです。
実際の選挙運動でも、街頭宣伝、チラシのポスティングはボランティアによるものでした。その多くはネットから飛び出した私たちの仲間たちです。ポスティングが活発に行われるようになったのは尖閣事件当時からですが、今回は、ポスティング情報をネット上で共有して、そこに1000組以上が登録して自主的に活動したのです。
これが「僕たちの都知事選」でした。
ただ、それにもかかわらず、結果がこうなったにはもちろん真剣な反省も必要だと思います。特に保守の代表選手の立候補に関わらず、安倍首相以下の賛同を得られなかったこと。また保守派の言論人がこぞって参加していたといえないこと。そうしたことが広がりを欠くことにつながった印象もあります。しかし、それ以上に得たものが大きかった。またやりましょう!
田母神祭り(ツイッターデモ)の記録です!(書き込みのまとめはありません。)
※今日、朝から自宅前の道路の雪かきをしました。信じられないことに8日の雪で我が家の付近は40センチの積雪がありました。車も出られず、汗をかきました。
※今日、朝から自宅前の道路の雪かきをしました。信じられないことに8日の雪で我が家の付近は40センチの積雪がありました。車も出られず、汗をかきました。
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