〇安倍総理がバンドン会議で演説しました。
〇ところで、首相が演説で「植民地支配と侵略」を詫びがなかったことをとやかくいうメディアが多いですが、今さら詫びる必要などまったくありません。スカルノが提唱した60年前の同会議で、日本は各国から「日本のお陰だ。日本が戦わなかったら我々はイギリス、フランス、オランダの植民地のままだった」と大歓迎されたと生前、加瀬俊一氏が語っていました。だがこうした事実は政治にもメディアにも学界にも無視されてきたのです。
〇小泉首相は10年前、バンドン会議で村山談話を引用する形で「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、「痛切なる反省と心からのお詫びの気持ち」を表明しましたが、これほど場違いなあいさつはなかったのです。
私がこの話を知ったのは、故名越二荒之助氏の著書からです。参考までにその内容をアップしておきます。
〈一九五五年(昭和三十)になると、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ二十九カ国が集まって、国際会議が開かれた。参加国は、戦後独立した国がほとんどで、「黄と黒の団結」と独立をアピールする会となった。この会はインドネシア(スカルノ大統領)の提唱で、コロンボ・グループと呼ばれたビルマ、セイロン、インド、インドネシア、パキスタンの五カ国が招請国となった。
参加国はそのほかに、アフガニスタン、カンボジア、中華人民共和国、エジプト、エチオピア、ゴールドコースト、イラン、イラク、日本、ヨルダン、ラオス、レバノン、リベリア、リビア、ネパール、フィリピン、サウジアラビア、スーダン、シリア、タイ、トルコ、ベトナム民主共和国、ベトナム共和国、イエメン、ほかにオブザーバーとして数カ国が加わった。
日本は高崎達之助経済審議庁長官を代表として十数名が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。加瀬俊一外務相参与(後に初代国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を次のように語っている。
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と思っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国からも『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。
ところがこのように評価されている大東亜戦争の勇戦や、大東亜会議の意義だが、日本のマスコミや学会では取り上げられない。この辺にも日本の歴史認識や外交の未熟さがあるように思われてならない」(平成6年7月22日、京都外国語大学における講演より)〉(『昭和の戦争記念館第5巻』展転社)
※バンドン会議演説
http://www.asahi.com/articles/ASH4Q42C2H4QUTFK00F.html…
※日中首脳会談
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015042200696&g=pol
2015年4月23日木曜日
2014年12月15日月曜日
日本を取り戻す第二幕が始まる(総選挙、自公圧勝!次世代大敗)北!
総選挙が終わりました。自公は2年前に続いて3分の2を上回る大勝利。「次世代の党」は大敗北。田母神俊雄さんらが訴えた「公明党をぶっつぶせ!」も票には結び付きませんでした。田母神さん(東京12区)のところで3日。増元照明さん(宮城2区)のところで1日応援した私にとっては、残念、無念の結果です。一夜明けても悔しさがこみ上げてきます。
この結果を見て、あざ笑うネトウヨの星が敗れたなどとあざ笑う新聞や保守正当派を気取る論者もいますが、「日本を取り戻す」最大の抵抗勢力は自民党内リベラルと公明党、安倍政治を前に進めるためにも次世代の躍進が必要との主張は間違っていないと思います。落選した愛国候補は、志を失わず他日を期してもらいたいと思います。
他方、自民党が勝利し、安倍政権が継続することになったのは日本のためによかったと思います。私は、今後とも、安倍首相が政権奪還時に訴えた「戦後レジームからの脱却」(つまり憲法改正であり、歴史認識見直し、靖国参拝、拉致被害者救出、国防力強化)を掲げる限り、安倍首相を支持したいと思います。
日本の政治は、2年前の民主党からの政権奪還で、「日本を取り戻す」第一幕が明けました。これからは第二幕です。次世代の党が今後どういう姿になるかは分かりませんが、自民党、維新などの保守派と組んで大きな役割を果たせるはずです。
この結果を見て、あざ笑うネトウヨの星が敗れたなどとあざ笑う新聞や保守正当派を気取る論者もいますが、「日本を取り戻す」最大の抵抗勢力は自民党内リベラルと公明党、安倍政治を前に進めるためにも次世代の躍進が必要との主張は間違っていないと思います。落選した愛国候補は、志を失わず他日を期してもらいたいと思います。
他方、自民党が勝利し、安倍政権が継続することになったのは日本のためによかったと思います。私は、今後とも、安倍首相が政権奪還時に訴えた「戦後レジームからの脱却」(つまり憲法改正であり、歴史認識見直し、靖国参拝、拉致被害者救出、国防力強化)を掲げる限り、安倍首相を支持したいと思います。
日本の政治は、2年前の民主党からの政権奪還で、「日本を取り戻す」第一幕が明けました。これからは第二幕です。次世代の党が今後どういう姿になるかは分かりませんが、自民党、維新などの保守派と組んで大きな役割を果たせるはずです。
2014年9月18日木曜日
「みなさまに深くおわびします」というけれど・・
朝日新聞は9月12日付一面に木村伊量社長の以下の文章を掲載しました。この前日には記者会見を開いています。「おわびします」となっていますが、〈従軍慰安婦〉報道については〈記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。〉としているだけでおわびしているようには見えません。朝日新聞の報道で、世界中に「性奴隷」のウソが広がってしまったことの重大性が分からないのでしょうか。
みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長・木村伊量
朝日新聞は、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、いわゆる「吉田調書」を、政府が非公開としていた段階で独自に入手し、今年5月20日付朝刊で第一報を報じました。その内容は「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」というものでした。吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容でした。
しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。「命令違反で撤退」の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。 これに伴い、報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当の職を解き、関係者を厳正に処分します。むろん、経営トップとしての私の責任も免れません。この報道にとどまらず朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた危機だと重く受け止めており、私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で、すみやかに進退について決断します。その間は社長報酬を全額返上いたします。
吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに、誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。
現時点では、思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因と考えておりますが、新しい編集担当を中心に「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を早急に立ち上げ、あらゆる観点から取材・報道上で浮かび上がった問題点をえぐりだし、読者のみなさまの信頼回復のために今何が必要なのか、ゼロから再スタートを切る決意で検討してもらいます。
同時に、誤った記事がもたらした影響などについて、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会(PRC)」に審理を申し立てました。すみやかな審理をお願いし、その結果は紙面でお知らせいたします。
様々な批判、指摘を頂いている慰安婦報道についても説明します。朝日新聞は8月5日付朝刊の特集「慰安婦」問題を考える」で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。この立場はいささかも揺らぎません。
ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。
慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします。
吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。わたしたちは今回の事態を大きな教訓としつつ、さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を澄まします。そして初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします。そうした弊社の今後の取り組みを厳しく見守って頂きますよう、みなさまにお願い申し上げます。
しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。「命令違反で撤退」の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。 これに伴い、報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当の職を解き、関係者を厳正に処分します。むろん、経営トップとしての私の責任も免れません。この報道にとどまらず朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた危機だと重く受け止めており、私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で、すみやかに進退について決断します。その間は社長報酬を全額返上いたします。
吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに、誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。
現時点では、思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因と考えておりますが、新しい編集担当を中心に「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を早急に立ち上げ、あらゆる観点から取材・報道上で浮かび上がった問題点をえぐりだし、読者のみなさまの信頼回復のために今何が必要なのか、ゼロから再スタートを切る決意で検討してもらいます。
同時に、誤った記事がもたらした影響などについて、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会(PRC)」に審理を申し立てました。すみやかな審理をお願いし、その結果は紙面でお知らせいたします。
様々な批判、指摘を頂いている慰安婦報道についても説明します。朝日新聞は8月5日付朝刊の特集「慰安婦」問題を考える」で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。この立場はいささかも揺らぎません。
ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。
慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします。
吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。わたしたちは今回の事態を大きな教訓としつつ、さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を澄まします。そして初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします。そうした弊社の今後の取り組みを厳しく見守って頂きますよう、みなさまにお願い申し上げます。
2014年8月8日金曜日
朝日新聞が30年以上放置していた吉田清冶のウソ証言全経過!
朝日新聞が取り消した、吉田清冶の「慰安婦狩り」証言の記事をピ ックアップしてみました。
朝日新聞によると、吉田証言に関する記事は1980年代から1990年代にかけてで、計16本に及んでいます。これらが、「慰安婦」の募集、移送などの強制性を認めた「河野談話」(1993年)、さらには国連人権人会の報告や米国の対日非難決議に大きな影響を与えたのは間違いありません。
河野談話発出当時の首相官邸事務方トップの石原信雄元官房副長官は「大きな影響があった。被害者団体は強制連行をされたものと思い込んで日本政府に謝罪と補償を求めた」(読売テレビの番組)と吉田証言の影響の大きさを述べています。
◇吉田清冶が「慰安婦狩り」をまとめて証言したのは、1983年(昭和58)の『私の戦争犯罪』(三一書房)です。この中で、先の大戦中に日本軍が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にした、自らも軍命令で済州島で慰安婦にするため朝鮮人女性を強制連行した証言しています。1989年には韓国語訳が出版された。これより早く、1977年(昭和52の『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)を出版していますが、こちらは朝鮮半島での男子労務者の「狩り出し」と下関での朝鮮人慰安婦調達の体験談が中心です。
ところが「私の戦争犯罪」の一年前に朝日新聞は、吉田清治の「慰安婦」ねつ造を大々的に取り上げています。1982年(昭和57)9月2日付大阪本社版朝刊です。内容は、戦時中、「山口県労務法国会下関支部」の動員部長だったという吉田清治氏が9月1日夜、大阪市内で催された集会で〈悲惨な『従軍慰安婦狩り』の実態を証言した〉というものです。

☆それから三カ月後、朝日新聞東京は1983年(昭和58)11月10日に「ひと」欄で吉田清治を取り上げています。〈「国家による人狩り、としかいいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている。戦争責任を明確にしない民族は、再び同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか」〉という吉田清治の言葉で締めくくっています。ただ、これには「慰安婦狩り」の話は出ていません。朝日新聞によると、吉田証言に関する記事は1980年代から1990年代にかけてで、計16本に及んでいます。これらが、「慰安婦」の募集、移送などの強制性を認めた「河野談話」(1993年)、さらには国連人権人会の報告や米国の対日非難決議に大きな影響を与えたのは間違いありません。
河野談話発出当時の首相官邸事務方トップの石原信雄元官房副長官は「大きな影響があった。被害者団体は強制連行をされたものと思い込んで日本政府に謝罪と補償を求めた」(読売テレビの番組)と吉田証言の影響の大きさを述べています。
◇吉田清冶が「慰安婦狩り」をまとめて証言したのは、1983年(昭和58)の『私の戦争犯罪』(三一書房)です。この中で、先の大戦中に日本軍が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にした、自らも軍命令で済州島で慰安婦にするため朝鮮人女性を強制連行した証言しています。1989年には韓国語訳が出版された。これより早く、1977年(昭和52の『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)を出版していますが、こちらは朝鮮半島での男子労務者の「狩り出し」と下関での朝鮮人慰安婦調達の体験談が中心です。
ところが「私の戦争犯罪」の一年前に朝日新聞は、吉田清治の「慰安婦」ねつ造を大々的に取り上げています。1982年(昭和57)9月2日付大阪本社版朝刊です。内容は、戦時中、「山口県労務法国会下関支部」の動員部長だったという吉田清治氏が9月1日夜、大阪市内で催された集会で〈悲惨な『従軍慰安婦狩り』の実態を証言した〉というものです。

◇1989年(平成元) 吉田証言を読んだ済州島新聞の記者が、現地調査をもとに「慰安婦狩りは事実無根」「吉田の主張は虚偽」と報じました。
1990年代に入って、朝日新聞の強制連行報道に拍車がかかります。
☆1990年(平成2)12月14日 東京夕刊 (人きのうきょう)「梨花女子大の尹貞玉教授 従軍慰安婦の事実究明を」〈もう1つの「強制連行」の事実究明を日本側に呼び掛けた〉
☆「朝鮮人強制連行の名簿、知事の命令で償却 元動員部長が証言」
1990(平成2).06.19 大阪朝刊 26頁 2社 写図有
〈戦前、山口県労務報国会下関支部動員部長として、「徴用」名目で多数の朝鮮人を強制連行した吉田清治さん(76)=千葉県在住=が話した。「名簿などの関係書類をドラム缶で焼き、灰はスコップで海に捨てました」。敗戦直後の8月下旬のことだった、という。
内務次官の指示に基づき、「記念写真も含め、朝鮮人に関する資料をすべて焼却せよ」という県知事の緊急命令書が、警察署長あてに届いた。吉田さんは丸4日かけて、下関署の裏で、同支部にあった徴用関係書類をドラム缶で焼いた。6千-1万人分の名簿も含まれていた。
「強制連行の実態が明らかになると、関係者は戦犯になりかねない。だから、米軍が来る前に、証拠隠滅を図ったわけです。当時は、自分もそれが当然と思っていました」
労務報国会は、戦時体制の中で、炭鉱などの人手不足を解消するため、昭和17年に全国各県の警察単位につくられ、労務動員を担当した。日本国内には徴用できる人材が少なく、朝鮮人の強制連行が主な仕事だった。吉田さんは敗戦まで約3年間、強制連行の実務責任者として7、8回、朝鮮半島に渡った。
地元警察署員らが集落を包囲したあと、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮人男性を強引に引きずり出し、次々と護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒した。数百人を下関に連行した後、貨物列車に乗せ、炭鉱などに送り込んだ。
「自分は戦争犯罪人。その罪と責任は死んでも消えないでしょう。強制連行の官庁資料はもはやないと思うが、企業や市町村レベルで、少しでも手がかりがないか、探すべきです」
吉田さんは戦後、炭鉱などで酷使されて死んだ韓国人の遺骨返還運動や、6年前には韓国天安市の「望郷の丘」に私費で「日本人の謝罪碑」を建立するなど、自らの戦争責任を問い続けている。
「同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました。朝鮮民族の人たちには、死後も謝罪し続けなければならないという気持ちです。到底許されるとは思っていませんが」〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
☆従軍慰安婦 加害者側の証言(女たちの太平洋戦争) 1991年5月22日 大阪朝刊 5頁 声 内務次官の指示に基づき、「記念写真も含め、朝鮮人に関する資料をすべて焼却せよ」という県知事の緊急命令書が、警察署長あてに届いた。吉田さんは丸4日かけて、下関署の裏で、同支部にあった徴用関係書類をドラム缶で焼いた。6千-1万人分の名簿も含まれていた。
「強制連行の実態が明らかになると、関係者は戦犯になりかねない。だから、米軍が来る前に、証拠隠滅を図ったわけです。当時は、自分もそれが当然と思っていました」
労務報国会は、戦時体制の中で、炭鉱などの人手不足を解消するため、昭和17年に全国各県の警察単位につくられ、労務動員を担当した。日本国内には徴用できる人材が少なく、朝鮮人の強制連行が主な仕事だった。吉田さんは敗戦まで約3年間、強制連行の実務責任者として7、8回、朝鮮半島に渡った。
地元警察署員らが集落を包囲したあと、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮人男性を強引に引きずり出し、次々と護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒した。数百人を下関に連行した後、貨物列車に乗せ、炭鉱などに送り込んだ。
「自分は戦争犯罪人。その罪と責任は死んでも消えないでしょう。強制連行の官庁資料はもはやないと思うが、企業や市町村レベルで、少しでも手がかりがないか、探すべきです」
吉田さんは戦後、炭鉱などで酷使されて死んだ韓国人の遺骨返還運動や、6年前には韓国天安市の「望郷の丘」に私費で「日本人の謝罪碑」を建立するなど、自らの戦争責任を問い続けている。
「同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました。朝鮮民族の人たちには、死後も謝罪し続けなければならないという気持ちです。到底許されるとは思っていませんが」〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
〈「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、“挺
「手をくだした側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私
吉田さんは自著「私の戦争犯罪--朝鮮人強制連行」(三一書房
私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従
10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放され
今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ
☆1991年7月31日 東京朝刊「朝鮮人従軍慰安婦問題、南北共同で補償要求 シンポで合意」
〈日中戦争や太平洋戦争で「女子挺身隊(ていしんたい)」の名で戦場に送られた朝鮮人従軍慰安婦の実態を調査している韓国挺身隊問題対策協議会(16団体、約30万人)の尹貞玉共同代
表〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
そして植村記者の特報!
☆1991年8月11日 朝刊(大阪版)
「思いだすと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 半世紀ぶり思い口を開く」

【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊(ていしんたい)」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。
体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に1人で住んでいる。最近になって、知人から「体験を伝えるべきだ」と勧められ、「対策協議会」を訪れた。メンバーが聞き始めると、しばらく泣いた後で話し始めたという。
女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。200-300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの4人が一般の兵士200-300人を受け持ち、毎日3、4人の相手をさせられたという。
「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に1回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
女性は「何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない」と訴えている。
朝鮮人慰安婦は5万人とも8万人ともいわれるが、実態は明らかでない。尹代表らは「この体験は彼女だけのものでなく、あの時代の韓国女性たちの痛みなのです」と話す。9月からは事務所内に、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。
昨年10月には36の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、11月に「同協議会」が結成された。10日には、「韓国放送公社」(KBS)の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
☆1991/8/15 夕刊(大阪版)8面「問う、日本の加害 忘れられた『過去』 終戦の8・15」女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。200-300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの4人が一般の兵士200-300人を受け持ち、毎日3、4人の相手をさせられたという。
「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に1回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
女性は「何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない」と訴えている。
朝鮮人慰安婦は5万人とも8万人ともいわれるが、実態は明らかでない。尹代表らは「この体験は彼女だけのものでなく、あの時代の韓国女性たちの痛みなのです」と話す。9月からは事務所内に、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。
昨年10月には36の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、11月に「同協議会」が結成された。10日には、「韓国放送公社」(KBS)の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
☆1991/8/17 朝刊(大阪版)「慰安婦問題考える 在日の女性らが集い 大阪で24日」
☆1991/9/3 朝刊(大阪版)8面「女子工員『エギ』(手紙 女たちの太平洋戦争・韓国)」
☆従軍慰安婦 加害者側から再び証言(女たちの太平洋戦争)
19 91.10.10 大阪朝刊 5頁 声
〈「朝鮮人従軍慰安婦とは何だったのか。いまこそ明らかにし謝罪 しておかないと日本は早晩、国際的に指弾されるだろう」。戦時中 「山口県労務報国会下関支部」の動員部長として朝鮮人を強制連行 した吉田清治さん(78)=千葉県我孫子市=はこう言って目を伏 せた。吉田さんは5月22日の本欄で、加害者としての自分につい て証言したが、改めて胸中を吐露した。その間3時間余。紺色の背 広に小柄なからだを包んだ吉田さんは「私ももう年。遺言のつもり で記録しておいてほしい」と繰り返した。(編集委員・井上裕雅)
従軍慰安婦問題について韓国の女性団体などが実態を明らかにす ることなどを日本政府に要求しているが、日本政府側の態度は一向 に前進していない。4月にはソウルの日本大使館で女性団体に説明 があったが、「手がかりになる証拠はなく、強制連行した事実を認 めることも、謝罪することも、蛮行を明らかにすることも、慰霊碑 を建てることもできない」というものだった。政府は「民間の業者 がそうした方を連れて歩いたとか…」というばかりだ。
「あれは業者がやったことだ」「調査は不可能」などという理屈 が通るはずもありません。
旧日本軍人、軍属の多くは慰安所と慰安婦のことは知っているは ずです。ただ名誉なことではないので口にしないだけでしょう。
だが、元従軍慰安婦のほとんどは沈黙したままだ。加害者側が 口をぬぐい、そして被害者側も過去を語ろうとしないケースが多い 。従軍慰安婦とは何だったのかが歴史の闇(やみ)に埋もれる恐れ さえある。しかし、吉田さんは、旧軍人、軍属の証言をまつまでも ない、慰安婦問題を明らかにすることはできるという。
南方から復員した軍人に聞いたのですが、彼女たちは負けいくさ の中で戦場に放置された。保護なんてありえなかった。当然彼女た ちは敵の捕虜になった。日本語を話す女性の集団です。スパイか破 壊分子と思われたでしょう。日本軍の情報を得るためにも徹底的に 調べられ、朝鮮半島から強制的に連行され、日本兵らの相手をさせ られていた女性たちだ、ということがわかったでしょう。それらの 調書はアメリカやオーストラリアで公文書として保管されていると 思います。東南アジアの人たちもその実態は知っているでしょう。
各国ともいまそのことを明らかにすることはないでしょうが、人 権感覚の鋭い欧米のマスコミが知ったらどうでしょう。黙ってはい ません。そうなったら日本政府は国際的に言い逃れができません。
韓国の反日感情にも火がつきます。外務省は、いますぐにでも事 実を認め、謝罪するべきでしょう。
慰安婦を乗せて南方に向かった御用船を含む船団が潜水艦にやら れ、慰安婦と、彼女たちを受けとりにきた兵隊が亡くなったことが あります。彼らは靖国神社にまつられています。
従軍慰安婦問題は、さらに、国際政治に影響を及ぼす恐れがあ る、と吉田さんはいう。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とのことです。敗戦当時、旧 満州、中国北部にいた慰安婦の多くはいま北朝鮮にいるはずです。 北朝鮮が彼女たちのことを調べたかどうかはわかりませんが、その 気になれば調べられるでしょう。
北朝鮮がその問題を暴露したら日本政府はどうするのでしょうか 。
それにしても慰安所、慰安婦に関する資料が少ないのは事実だ 。「国がその存在をごまかし、今日に至っている」と吉田さんは話 す。
当時、慰安所のことは報道禁止でした。軍事機密だったわけです 。国際世論も考慮しなければならない。慰安所など帝国軍人として もってのほかでした。陸軍士官学校、陸軍大学などを出たエリート 参謀たちにしても感性に合わなかったでしょう。でも、民間の業者 が運営するのは無理なことでした。
私は1943年(昭和18年)、1944年(同19年)従軍慰 安婦を連行しましたが、「皇軍慰問朝鮮人女子挺身隊員(ていしん たい)動員に関する件」という軍命令がくるわけです。「年齢は2 0歳以上30歳ぐらい、既婚者も可、妊婦は除く、性病検査実施、 勤務は2年間」となっています。
それを受け取るとすぐ朝鮮半島の道警察(どう・けいさつ)へ「 また何人頼む」と電話を入れます。2、3日後、15人から20人 ぐらいで連絡船で出張すると、すでに予定表ができています。どこ で1人から3人、どこで3人から5人、といったふうに地図に書い てある。1時間ほど打ち合わせをして道警察から各村の近くの警察 へ連絡します。連行予定前日の夕方から近くの駅を封鎖し、道路も 押さえてしまいます。情報がもれていると困るからです。
当日は朝8時ごろ幌(ほろ)つきの軍用護送車で出かけます。そ して各家から全員外へ出させます。そのころになると村内は「また 人さらいがきた」とパニック状態です。悲鳴があがり、犬がほえま す。
私は男性も徴用しましたが、女性を強制連行したことはより罪深 いと思います。子供のいた人は敗戦後帰郷してその子たちに会いた かったでしょうが、多くの人たちが日本列島の中などで暮らしてい ると思います。
残酷な行為は私がやったのです。そのことを黙ったまま死ぬわけ にはいきません。
謝罪する以外に方法はないでしょう。そうしない限り、今後10 0年たっても韓国民との友好はありえません。
従軍慰安婦として強制連行されたのは主として未婚の女性という のが通説だ。が、吉田さんの経験によると、そうではなかったとい う。既婚者が多かった。だから、ことは余計に悲劇的で重大だと語 る。
私が連行に関与したのは1000人ぐらいですが、多くが人妻だ ったのではないでしょうか。乳飲み子を抱いた人もいた。3、4歳 の子供が若い母親に泣きながらしがみついてもいました。そんな子 供たちを近くにいる年とった女性に渡し、若い母親の手をねじ上げ 、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです。母親を奪われた子 供たちはいま40-50代ですよ。当時のことを忘れてはいないで しょう。きっと死ぬまで忘れません。そんな人が何千人も韓国にい るんです。
彼女たちを連行した日本人として私は「忘れた」「なかったこと だ」などとは到底言えません。当時、子供だった人たち同様、私も あの現場だけは忘れることができません。
○考える集い・催し次々と 岡山・大阪…各地で広がる関心
従軍慰安婦についての関心が韓国、日本各地で急速に広がってい る。韓国挺(てい)身隊問題対策協議会共同代表の尹貞玉さん、在 日韓国・朝鮮人女性、補償問題に取り組んでいる日本人らの努力に よるところが大きい。
9月29日には岡山市内で「戦後補償と朝鮮人従軍慰安婦を考え る集い」が開かれ、高木健一弁護士が「アジアに対する戦後補償を 」と訴えた。
同様の集会はこれまで主として東京、大阪などで開かれており、 地方都市では珍しい。岡山県評センター女性連絡会などの呼びかけ で、市民グループの人たち約250人が参加、韓国のテレビ局が従 軍慰安婦問題について制作した「沈黙の恨(ハン)」も観賞した。
10月22日から約2カ月間、大阪市浪速区のリバティおおさか では「朝鮮侵略と強制連行展」が開かれる。
期間中の11月9日には「いま、朝鮮人強制連行を問う!」と題 した集会が、12月初めにも同様の集会が予定されている。
「日本と韓国・朝鮮との友好のため、過去の歴史的事実を明らか にしよう」というのが同展のねらい。11月9日は吉田さんらが参 加する予定だ。〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ と判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けません でした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られま せんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾が いくつも明らかになりました。
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤 労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問 題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰 安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
☆1991/12/10 朝刊5面「ことば 従軍慰安婦」
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
〈「朝鮮人従軍慰安婦とは何だったのか。いまこそ明らかにし謝罪
従軍慰安婦問題について韓国の女性団体などが実態を明らかにす
「あれは業者がやったことだ」「調査は不可能」などという理屈
旧日本軍人、軍属の多くは慰安所と慰安婦のことは知っているは
だが、元従軍慰安婦のほとんどは沈黙したままだ。加害者側が
南方から復員した軍人に聞いたのですが、彼女たちは負けいくさ
各国ともいまそのことを明らかにすることはないでしょうが、人
韓国の反日感情にも火がつきます。外務省は、いますぐにでも事
慰安婦を乗せて南方に向かった御用船を含む船団が潜水艦にやら
従軍慰安婦問題は、さらに、国際政治に影響を及ぼす恐れがあ
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とのことです。敗戦当時、旧
北朝鮮がその問題を暴露したら日本政府はどうするのでしょうか
それにしても慰安所、慰安婦に関する資料が少ないのは事実だ
当時、慰安所のことは報道禁止でした。軍事機密だったわけです
私は1943年(昭和18年)、1944年(同19年)従軍慰
それを受け取るとすぐ朝鮮半島の道警察(どう・けいさつ)へ「
当日は朝8時ごろ幌(ほろ)つきの軍用護送車で出かけます。そ
私は男性も徴用しましたが、女性を強制連行したことはより罪深
残酷な行為は私がやったのです。そのことを黙ったまま死ぬわけ
謝罪する以外に方法はないでしょう。そうしない限り、今後10
従軍慰安婦として強制連行されたのは主として未婚の女性という
私が連行に関与したのは1000人ぐらいですが、多くが人妻だ
彼女たちを連行した日本人として私は「忘れた」「なかったこと
○考える集い・催し次々と 岡山・大阪…各地で広がる関心
従軍慰安婦についての関心が韓国、日本各地で急速に広がってい
9月29日には岡山市内で「戦後補償と朝鮮人従軍慰安婦を考え
同様の集会はこれまで主として東京、大阪などで開かれており、
10月22日から約2カ月間、大阪市浪速区のリバティおおさか
期間中の11月9日には「いま、朝鮮人強制連行を問う!」と題
「日本と韓国・朝鮮との友好のため、過去の歴史的事実を明らか
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤
☆1991/12/10 朝刊5面「ことば 従軍慰安婦」

◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
そして元「慰安婦」が日本政府を訴えて提訴!
朝日新聞はこれについて大量の記事を出稿していますが、疑問点はいろいろありますが事実を報じただけということなのか今回取り消しはしていない。
☆従軍慰安婦にされた朝鮮女性、半世紀の「恨」提訴へ
1991年12月1日 大阪朝刊 26頁 2社
☆韓国の元従軍慰安婦ら日本政府を訴え 「人道への罪」問う 東京地裁
1991年12月6日 東京夕刊 1頁 1総
1991年12月6日 23頁 1社
〈「どれだけたくさんの慰安婦が犠牲になったか。私の17歳の青春を返して欲しい」。従軍慰安婦だった金学順(キム・ハクスン)さん(67)はハンカチで涙をぬぐった。6日、日本政府を相手に提訴した韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」。忘れられた慰安婦、戦傷のいえぬ元軍属や何の補償もない元兵士、戦死通知さえ来ない遺族たち。太平洋戦争開戦から50年、「セイセン(聖戦)」に巻き込まれ、置き去りにされた原告たちの「恨」(ハン)はいまもなお積み重なっている。
金さんは6日朝、東京・西早稲田の宿舎で「畳を見てつらかった。植民地時代を思い出した」とやつれた表情で、ぽつりと語った。白いチマ・チョゴリ姿。「まだ韓国にはたくさんの慰安婦たちが黙ったままです。夫や子供がいる人はこんな体験を話せるわけはない」。「でも私は話します。胸が痛いけれど……」と話を続けた。
金さんは1939年春ごろ、平壌で、地区の世話役に「金になる仕事がある」と誘われ、平壌駅から日本の軍人たちと一緒に軍用列車に乗せられた。数えで17歳だったという。着いたのは中国北部の集落で、「テッペキチン」という記憶がある。将校に「いうことを聞け、逃げたら死ぬぞ」と脅され、翌朝から軍人の相手をさせられた。
金さんも含めて朝鮮人女性は5人。300人ほどの部隊が近くにいたという。
1カ月半後、部隊と移動。金さんは胸を病み、監視が緩くなった。物売りの朝鮮人業者に「自分も朝鮮人だ。逃がしてほしい」と頼み、夜中に脱出した〉
※提訴では、金学順さんは親(義父)に身売りされて中国に向かったとある。「ハンギョレ新聞」(1991年5月15日)では、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」という彼女の証言を報道している。しかし、この記事にはそのことは書かれていない。
※「従軍慰安婦」は、これも造語です。日本軍には「従軍看護婦」「従軍記者」はありましたが、「従軍慰安婦」はありません。「慰安婦」が正しい。
そして以下が、「慰安婦」問題が日韓の外交問題となる契機となった記事です。
☆1992年1月11日 東京朝刊 1頁 1総 写図有
「慰安所 軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌 部隊に設置指示」
※これは朝日新聞が一面トップで報じ、これに動転した宮澤喜一首相が、直後の韓国訪問で8回も謝罪したという有名な記事。中央大学の吉見義明教授が、防衛研究所で「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書などを発見したもので、吉見教授は「軍が関与していたことは明々白々」としているが、この文書そのものは、慰安婦の募集にあたってあっせん業者が不法行為を行うことは軍の威信にかかわるから業者の選定を厳しくせよというもので、軍が関与したといっても、「善意の関与」ともいえるものだ。もともと「慰安婦」への軍の関与そのものを疑っていた人はいない。問題は強制連行があったどうかだが、この記事の最後は根拠もなく次のように結ばれている。
〈●多くは朝鮮人女性
<従軍慰安婦> 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる。〉
ところが明確に〈挺身隊の名で強制連行した〉と断じているのにデーターベースでは、なぜか取り消しを行っていない。
☆「歴史から目をそむけまい」(社説)1992年1月12日 東京朝刊 2頁
〈日中戦争や太平洋戦争中に、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人女性などのいわゆる「従軍慰安婦」について、軍当局が募集を監督したり、慰安所の設置などに関与していたことを裏付ける公文書類が発見された。
「挺身隊(ていしんたい)」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられたといわれる朝鮮人慰安婦について、政府はこれまで「民間業者が連れ歩いたようだ」などと、軍や政府の関与を否定する姿勢をとってきた。しかし、この種の施設が日本軍の施策の下に設置されていたことはいわば周知のことであり、今回の資料もその意味では驚くに値しない。
恥ずかしい体験はだれでも思い出したくないものだ。しかし、戦争という特異な状況のもととはいえ、植民地支配下の朝鮮から多数の人々をかり出し、男性には労務や兵役を、女性には兵士の慰安をという役割を強要したのは、たかだか半世紀前のわが国であった。この事実の重みは私たちが負い続けなければならない。歴史から目をそむけることはできない。
このところアジア、太平洋各地の戦争犠牲者たちから、日本の戦争責任を問い、補償を求める動きが強まってきた。 昨年暮れ、元従軍慰安婦の3人をはじめ韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」のメンバーが、日本政府を相手どり、植民地支配と戦争で被った被害の補償として、1人当たり2000万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。また、強制連行された労働者や、徴用された軍人・軍属の遺族たち、BC級戦犯として裁かれた韓国・朝鮮人の提訴も相次いでいる。
しかし、政府はこうした動きに対して「サンフランシスコ条約や日韓の請求権協定などで、基本的には解決ずみ」との姿勢をとり続けている。
海部前首相は昨年5月、シンガポールで「多くのアジア・太平洋の人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらした」とわが国の戦時中の「過ち」を厳しく反省し、謝罪した。反省や謝罪は、積極的な「償い」の行動を伴ってこそ、誠意をもって受け止められるものであろう。
個々の請求にどう対応するかは別にして、政府にまず求められるのは、例えば強制連行や、従軍慰安婦問題の徹底的な事実調査を進めることである。それも、役所に通知して資料を集めるといった通り一遍のやりかたでなく、関係団体や研究者、さらには外国政府などの協力を求めるなど、踏み込んだ調査が必要だ。16日からの宮沢首相の訪韓では、少なくともそうした前向きの姿勢を望みたい。
米国が第2次大戦中に強制収容された日系人に対し、1人2万ドルの補償金支払いを開始したのはつい2年前のことである。カナダ政府も同様の措置をとっている。
米国でその中心になったのは、議会につくられた「日系人の戦時収容に関する委員会」の働きだった。2年間にわたり、全米各地で750人もの証言を聞く公聴会を開いた。その結果、強制収容を「人種的偏見、戦時ヒステリー、政治家の怠慢の産物」と結論づけ、戦時市民強制収容補償法案の可決へと結実した。歴史を直視し、過ちを率直に償おうとした点で、私たちはこれらの国々に見習わなければならない。いずれにせよ、すでにほぼ半世紀。放置すれば資料はますます散逸し、関係者も少なくなる。政府なり、国会なりの、早急な対応が求められる。〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
※こちらは訂正していました。ウソ報道をしておいて〈たかだか半世紀前のわが国であった。この事実の重みは私たちが負い続けなければならない。歴史から目をそむけることはできない〉ですか。
恥ずかしい体験はだれでも思い出したくないものだ。しかし、戦争という特異な状況のもととはいえ、植民地支配下の朝鮮から多数の人々をかり出し、男性には労務や兵役を、女性には兵士の慰安をという役割を強要したのは、たかだか半世紀前のわが国であった。この事実の重みは私たちが負い続けなければならない。歴史から目をそむけることはできない。
このところアジア、太平洋各地の戦争犠牲者たちから、日本の戦争責任を問い、補償を求める動きが強まってきた。 昨年暮れ、元従軍慰安婦の3人をはじめ韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」のメンバーが、日本政府を相手どり、植民地支配と戦争で被った被害の補償として、1人当たり2000万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。また、強制連行された労働者や、徴用された軍人・軍属の遺族たち、BC級戦犯として裁かれた韓国・朝鮮人の提訴も相次いでいる。
しかし、政府はこうした動きに対して「サンフランシスコ条約や日韓の請求権協定などで、基本的には解決ずみ」との姿勢をとり続けている。
海部前首相は昨年5月、シンガポールで「多くのアジア・太平洋の人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらした」とわが国の戦時中の「過ち」を厳しく反省し、謝罪した。反省や謝罪は、積極的な「償い」の行動を伴ってこそ、誠意をもって受け止められるものであろう。
個々の請求にどう対応するかは別にして、政府にまず求められるのは、例えば強制連行や、従軍慰安婦問題の徹底的な事実調査を進めることである。それも、役所に通知して資料を集めるといった通り一遍のやりかたでなく、関係団体や研究者、さらには外国政府などの協力を求めるなど、踏み込んだ調査が必要だ。16日からの宮沢首相の訪韓では、少なくともそうした前向きの姿勢を望みたい。
米国が第2次大戦中に強制収容された日系人に対し、1人2万ドルの補償金支払いを開始したのはつい2年前のことである。カナダ政府も同様の措置をとっている。
米国でその中心になったのは、議会につくられた「日系人の戦時収容に関する委員会」の働きだった。2年間にわたり、全米各地で750人もの証言を聞く公聴会を開いた。その結果、強制収容を「人種的偏見、戦時ヒステリー、政治家の怠慢の産物」と結論づけ、戦時市民強制収容補償法案の可決へと結実した。歴史を直視し、過ちを率直に償おうとした点で、私たちはこれらの国々に見習わなければならない。いずれにせよ、すでにほぼ半世紀。放置すれば資料はますます散逸し、関係者も少なくなる。政府なり、国会なりの、早急な対応が求められる。〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
※こちらは訂正していました。ウソ報道をしておいて〈たかだか半世紀前のわが国であった。この事実の重みは私たちが負い続けなければならない。歴史から目をそむけることはできない〉ですか。
☆従軍慰安婦(窓・論説委員室から)
1992.01.23 東京夕刊 1頁 1総 (全948字)

〈吉田清治さんは、昭和17年、朝鮮人を徴用するために設けられた「山口県労務報国会下関支の動員部長になった。
以後3年間、強制連行した朝鮮人の数は男女約6000人にのぼるという。
韓国の報道機関から「もし、わが国の国会で証言してほしいという要請があれば、どうしますか」と聞かれたとき、こう答えた。
「私は最も罪深いことをしました。証言しろといわれれば、韓国の国民、国会に対して謝罪し、そして何でも答える義務がある。その立場を自覚していますから」 記憶のなかで、特に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。
吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。韓国の報道機関から「もし、わが国の国会で証言してほしいという要請があれば、どうしますか」と聞かれたとき、こう答えた。
「私は最も罪深いことをしました。証言しろといわれれば、韓国の国民、国会に対して謝罪し、そして何でも答える義務がある。その立場を自覚していますから」 記憶のなかで、特に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。
1つの村から3人、10人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の100人、200人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても950人はいた。
「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」
吉田さんは78歳である。「遺言として記録を残しておきたい」と、60歳を過ぎてから、体験を書き、話してきた。
東京に住んでいたころは時折、旧軍人の団体や右翼が自宅に押しかけてきて、大声を出したりした。近所の人が驚いて110番したこともある。
マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。それが心配になってたずねると、吉田さんは腹がすわっているのだろう、明るい声で「いえいえ、もうかまいません」といった。〈畠〉〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
※こうした朝日新聞の「慰安婦」強制連行報道に対しておかしいと感じる読者も多かったのでしょう。読者から問い合わせや抗議が殺到した。それに対して論説委員がこんなコラムを書いて、〈知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘
☆「歴史のために(窓・論説委員室から)」
1992.03.03 東京夕刊 1頁 1総
〈従軍慰安婦を強制連行...した吉田清治さんの告白が、この欄(1月23日付)で紹介された 。その後、たくさんの投書をいただいた。
去年、本紙と朝日放送が協力して進めた年間企画「女たちの太平 洋戦争」にも、投書が相次いだ。担当者と話していて気づいたこと がある。それは、日本軍の残虐行為はなかったとか、公表するなと かいう人の論拠には、共通する型がある、ということだ。
(1)そんなことは見たことも聞いたこともない。軍律、兵隊の 心情にてらしても、それはありえない。もし事実だとしても、それ は例外で、一般化するのは不当である。なかには自己顕示欲や誇張 癖のために、ゆがめられた話もあるだろう。
(2)自虐的に自国の歴史を語るな。子孫たちが祖国への誇りを 失ってしまう。それに、戦争が庶民を犠牲にすることは分かりきっ ている。過去を語っても無益。早く忘れよう。
(3)日本軍の残虐行為を知ったら、遺族は、わが父、兄弟も加 わったかと苦しむだろう。そのつらさを考えよ。また、戦友は祖国 のために命を捨てた。英霊を冒涜(ぼうとく)するな。
以上のように主張したい人々の気持ちはよくわかる。だれにも理 屈だけでは動きたくない情というものがある。しかし、それだけで いいのか。自問せざるをえない。
朝日放送が投稿をもとにドラマを制作し、昨年末、朝日系列テレ ビ各局が放送した。劇中、高等女学校の生徒たちが兵隊の褌(ふん どし)を洗う場面があった。たちまち、抗議の手紙、電話である。
「帝国軍人が、女学生に褌を洗わせるなどということは、断じて ない」
大阪府下に住む投稿者が、母校に保存されていた学校日誌で記憶 を確認した。
「陸軍需品支廠(しょう)ヨリ依頼ノ軍用褌、洗濯作業開始」
知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘 しないことには、歴史は残せない。 <畠>〉
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ と判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けません でした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られま せんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾が いくつも明らかになりました。
◇秦郁彦氏が慰安婦狩り証言は疑わしいとする済州島での調査結果を発表→産経新聞が1992年4月30日付で大きく報道。1992.03.03 東京夕刊 1頁 1総
〈従軍慰安婦を強制連行...した吉田清治さんの告白が、この欄(1月23日付)で紹介された
去年、本紙と朝日放送が協力して進めた年間企画「女たちの太平
(1)そんなことは見たことも聞いたこともない。軍律、兵隊の
(2)自虐的に自国の歴史を語るな。子孫たちが祖国への誇りを
(3)日本軍の残虐行為を知ったら、遺族は、わが父、兄弟も加
以上のように主張したい人々の気持ちはよくわかる。だれにも理
朝日放送が投稿をもとにドラマを制作し、昨年末、朝日系列テレ
「帝国軍人が、女学生に褌を洗わせるなどということは、断じて
大阪府下に住む投稿者が、母校に保存されていた学校日誌で記憶
「陸軍需品支廠(しょう)ヨリ依頼ノ軍用褌、洗濯作業開始」
知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘
<2014年8月5日朝刊 慰安婦問題を考える>
◇読者のみなさまへ
吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ
それでも朝日新聞は、、、、
☆1992/5/24朝刊30面「慰安婦問題 今こそ自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓」
☆1992/8/13朝刊26面「元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん」
そして、とうとう
☆朝日新聞は1997年(平成9)3月31日になって、ようやく吉田証言に疑問を提起、〈従軍慰安婦 消せない事実〉特集を掲載した。
しかし訂正も謝罪もせず、〈(吉田氏の)著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない〉〈吉田氏は「関係者の証言などデータの提出を拒んでいる」〉と報じただけだった。
そして〈強制〉を〈強制連行〉に限定する理由はないなどと主張した。このため、声の欄には、1000人も「慰安婦」狩りがあったとテレビで元軍人(これは間違い、吉田清治は軍人ではない)のに、なぜその声を無視するのかとの投書もあった!
☆読売新聞は2007年(平成19)3月27日 〈吉田証言は信ぴょう性が否定された〉
当然のことだが、吉田清治の証言は韓国と国内左翼勢力によって日本攻撃に利用された。
その結果、
【韓国、国連人権委員会報告、米下院が証拠採用】
河野談話とともに吉田証言は海外の日本叩きにも利用されました!◇1992年7月 韓国の「日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書」が吉田の著書を証拠採用
◇国連人権委員会のクマラスワミ報告1996年(平成8)での証拠に採用
「強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報告会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。
◇米国下院対日謝罪決議案の報告書における証拠採用
2007年(平成19)7月31日に米下院で採択されたに対日非難決議(マイクホンダ決議)を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書に「吉田証言」が明記されていた。
日本側の調査と報告を受けて、その後、改訂版では「吉田証言」が削除されたが決議案審議のための公聴会ででは吉田証言に基づいた資料が判断材料とされていた。
◇2010年(平成22)10月 米国ニュージャージー州に「慰安婦」碑出現
碑文は〈1920年から45年まで日本帝国軍に拉致された「慰安婦」として知られる20万人以上の女性や症状のために、彼女たちは誰もが認識すべき人権侵害に耐えた。人道に対する罪を決して忘れないようにしよう〉
2013年7月産経
碑文1〈私は日本軍の性奴隷でした。乱れた髪型は、少女が大日本帝国陸軍によって、住んでいた家からさらわれたことを象徴しています。肩に止まった鳥はわたしたちと犠牲者の絆を象徴しています〉碑文2〈1923年から1945年にかけて、20万人以上のアジア人とオランダ人女性たちが、家からさらわれ、大日本帝国軍によって強制的に性奴隷にされた。日本政府に歴史的な責任の受け入れを求める〉
◇2011年12月(平成23) ソウルの日本大使館の玄関前に韓国挺身隊問題対策協議会により「慰安婦」像が設置される
そして今回、2014年(平成26)、朝日新聞が掲載された特集がこれです。
よく読むと吉田証言のみ「取り消しています」が謝罪はしていない、ですね。
☆※朝日新聞の8月5日付一面に掲載された特集
〈慰安婦問題の本質直視を 編集担当 杉浦信之〉
日韓関係はかつてないほど冷え込んでいます。混迷の色を濃くしている理由の一つが、慰安婦問題をめぐる両国の溝です。
この問題は1990年代初めにクローズアップされ、元慰安婦が名乗り出たのをきっかけに議論や研究が進みました。戦争の時代に、軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた実態が次第に明らかになりました。
それから20年余、日本軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」の見直しなどの動きが韓国内の反発を招いています。韓国側も、日本政府がこれまで示してきた反省やおわびの気持ちを受け入れず、かたくなな態度を崩そうとしません。
慰安婦問題が政治問題化する中で、安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。読者の皆様からは「本当か」「なぜ反論しない」と問い合わせが寄せられるようになりました。
私たちは慰安婦問題の報道を振り返り、今日と明日の紙面で特集します。読者への説明責任を果たすことが、未来に向けた新たな議論を始める一歩となると考えるからです。97年3月にも慰安婦問題の特集をしましたが、その後の研究の成果も踏まえて論点を整理しました。
慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。
こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。
90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦(ごうかん)事件に国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈でとらえられています。慰安婦問題はこうした今日的なテーマにもつながるのです。
「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」
官民一体で作られた「アジア女性基金」が元慰安婦に償い金を渡す際、歴代首相はこんな一節も記した手紙を添えました。
歴史認識をめぐる対立を超え、和解へ向けて歩を進めようとする政治の意思を感じます。
来年は戦後70年、日韓国交正常化50年の節目を迎えますが、東アジアの安全保障環境は不安定さを増しています。隣国と未来志向の安定した関係を築くには慰安婦問題は避けて通れない課題の一つです。私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます。
◇
5日の特集では、慰安婦問題とは何かを解説し、90年代の報道への読者の疑問に答えます。6日は、この問題で揺れる日韓関係の四半世紀を振り返るとともに、慰安婦問題をどう考えるかを専門家に語ってもらいます。
☆中面の特集と翌日8月6日の特集はこちら。
朝日新聞の「慰安婦」報道の経緯を追ってきましたが、世界中で「性奴隷」と定着するにいたったこの問題を焚きつけたのが朝日新聞であることは明明白白です。それにしてもこの期に及んで朝日新聞の〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいたことを消すことはできません。「慰安婦」として自由が奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質〉などという論点ずらしは、あきれ果てます。ここまで日本の信用を傷つけておいてなお居直るつもりでしょうか。戦場で女性が被害にあってきたのは事実ですが、それはあらゆる戦場でそうてあって、なぜ日本だけが叩かれなくてはならないのか。この問題の背景にあるのは、東京裁判に端を発した自虐と贖罪の歴史観です。日本は侵略戦争を行った悪い国との洗脳がこうした朝日新聞のウソを簡単に受け入れてしまうことになってしまうのです。「南京大虐殺」も「靖国参拝」もそうです。これを契機に政府も国会も正面からこの問題に取り組むことを求めます。日本人が日本人の手でこの問題に決着をつけない限り、諸外国に広まった「性奴隷」のウソを払しょくすることは不可能でしょう。
吉田証言を引用した著作物。家永三郎『戦争責任』(岩波書店)、佐藤和秀『潮』1992年3月、鈴木裕子『朝鮮人従軍慰安婦』(岩波ブックレット)、杉井静子『文化評論』(1992年4月)、日弁連国際人権部会報告「日本の戦後処理を問うシンポジウム」(1992年7月)、高木健一『従軍慰安婦と戦後補償』(三一書房)、倉橋正直『従軍慰安婦問題の歴史的研究』(共栄書房1994年)、幣原広『法学セミナー』(1997年)曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』(白石書店1993)
ー『慰安婦と戦場の性』より。
〇参考までに月刊WiLL編集長の花田さん出演の読売テレビ番組(8月9日)をアップします。
参考サイト 東アジア黙示録
日本人なら知っておきたい事
日本報道検証機構
Wikipedia
朝日新聞データーベース
☆中面の特集と翌日8月6日の特集はこちら。
朝日新聞の「慰安婦」報道の経緯を追ってきましたが、世界中で「性奴隷」と定着するにいたったこの問題を焚きつけたのが朝日新聞であることは明明白白です。それにしてもこの期に及んで朝日新聞の〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいたことを消すことはできません。「慰安婦」として自由が奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質〉などという論点ずらしは、あきれ果てます。ここまで日本の信用を傷つけておいてなお居直るつもりでしょうか。戦場で女性が被害にあってきたのは事実ですが、それはあらゆる戦場でそうてあって、なぜ日本だけが叩かれなくてはならないのか。この問題の背景にあるのは、東京裁判に端を発した自虐と贖罪の歴史観です。日本は侵略戦争を行った悪い国との洗脳がこうした朝日新聞のウソを簡単に受け入れてしまうことになってしまうのです。「南京大虐殺」も「靖国参拝」もそうです。これを契機に政府も国会も正面からこの問題に取り組むことを求めます。日本人が日本人の手でこの問題に決着をつけない限り、諸外国に広まった「性奴隷」のウソを払しょくすることは不可能でしょう。
吉田証言を引用した著作物。家永三郎『戦争責任』(岩波書店)、佐藤和秀『潮』1992年3月、鈴木裕子『朝鮮人従軍慰安婦』(岩波ブックレット)、杉井静子『文化評論』(1992年4月)、日弁連国際人権部会報告「日本の戦後処理を問うシンポジウム」(1992年7月)、高木健一『従軍慰安婦と戦後補償』(三一書房)、倉橋正直『従軍慰安婦問題の歴史的研究』(共栄書房1994年)、幣原広『法学セミナー』(1997年)曽根一夫『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』(白石書店1993)
ー『慰安婦と戦場の性』より。
〇参考までに月刊WiLL編集長の花田さん出演の読売テレビ番組(8月9日)をアップします。
参考サイト 東アジア黙示録
日本人なら知っておきたい事
日本報道検証機構
Wikipedia
朝日新聞データーベース
2014年4月15日火曜日
李登輝元総統は台湾民主化についてかく語った!(2004年のことです)
台湾の学生が24日間にわたって台湾国会(立法院)を占拠しました。サービス貿易協定の名を借りて台湾の主権が危機にさらされようとした土壇場で学生たちは台湾を守るために立ち上がったのだと思います。多くの台湾国民が学生を支持したことは学生の行動が間違ってなかったことを示しています。なかでも、李登輝元総統が「学生たちだって国家のことを考えている。学生が警察官に殴られているのをみると涙が出てくる」と占拠学生を終始、擁護していたのが印象的でした。李登輝氏は、台湾で総統直接選挙などの民主化を実現した人物です。李登輝氏がなぜ学生を支持したのか。台湾の民主化はどう実現されたのか。台湾の抱える問題点は何か。参考までに李登輝氏が、2004年に台北で日本語で行い、私がミニコミ紙に寄稿した講演録を再録します。
「日本の衰退はアジアの危機
日本人はもっと自国に誇りを!」
2004年10月30日-11月3日に台湾の李登輝前総統のシンクタンクが主宰する「第一回李登輝学校に参加した際に李登輝さんが語った内容をひとりでも多くの日本人にみてもらうためここに掲載します。李登輝さん(八二)は先ごろ訪日し、日本と台湾が歴史を共有していることを強く印象づけましたが、李登輝学校でも「将来の世界のリーダーになるのは武士道という道義の体系を持った日本しかない」と繰り返し表明しました。もちろん李登輝さんの最終的な目標は名実ともに台湾の独立が国際社会から認知されることにありますが、そのためにも日本人が、日本人であることにもっと誇りを持つように訴えているのです。
(ジャーナリスト 山際澄夫)
☆ 台湾は中国ではない
―李登輝さんが最初に強調したのは、自分たちは中国人ではなく、台湾人であるという事実でした。
○・・台湾は中国の一部で、台湾にいる人間を中国人とみている日本人が多いがそうじゃない。私たちは戦前から台湾に住んでいる台湾人だ。(注、人口二千三百万人のおよそ8割強は台湾人。一割強が戦後、蒋介石とともに大陸からやってきた外省人といわれる)ところが、困ったことに教育のせいで台湾人のなかにも自分たちは中国人と思っている人がいることです。
これが台湾のアイデンティティの問題です。例えば日本なら反日的といわれる左翼がいますが、その左翼もどこの国の人かと聞かれれば「日本人」と答えるだろうが、台湾人にお前は誰だと聞いて、「台湾人だ」と答える人がかつては少なかったのです。「中国人である」といったり、「中国人でもあり、台湾人でもある」といったりする。そこに台湾の歴史の特殊性があるのです。私はこれじゃあいけない、台湾人の台湾にならないといけないと思い続けてきたのです。
二〇〇四・三・二〇の総統選挙で陳水扁総統が再選を果たしたとき、私は「台湾のアイデンティティは五七%」といいましたが、これを七五%程度まで引き揚げたい。モーゼは四十年かかってイスラエルの民にアイデンティティを植えつけた。アメリカだってかつては、イギリス人だとか、フランス人だとか答えていたが、十九世紀、二十世紀になって、みんなアメリカ人だと答えるようになった。だから希望はある。
☆ 民主化は道半ば
―台湾の歴史は「外来政権」による台湾人支配の歴史。それを台湾人の手に取り戻すのが民主化であると指摘しました。
○・・私が総統になってすすめてきたのは本土化(台湾化)といわれるものです。一九九三年に司馬遼太郎さんに初めてあって、「台湾に生まれた悲哀」と言いましたが、実際、台湾の四百年の歴史は、すべて「外来政権」の歴史で、台湾人は一度も自分の政治をもてなかった。オランダ、スペイン、鄭氏政権、清、そして日本。それから私が総統だった中華民国、これも蒋介石ととともに大陸からやってきた外来政権なのです。一九四七年には、中国人政権による民族浄化ともいうべき「2・28」事件(注、台湾人民衆の反政府の抗議行動に警察が機銃掃射し多数を虐殺した事件)が起こっている。
その後も蒋介石政権の三十八年間の戒厳令下に政権側の白色テロ(注、2・28事件とあわせて犠牲者は三万人に達するといわれる)が続いた。しかも、今も中華民国体制は維持されている。
だから私は民主化を通じて台湾人による政治を実現しようとしたのです。中国は一九九六年、二〇〇〇年、二〇〇四年に行われた総統選挙に軍事演習などで干渉したが、台湾人はこれに屈しなかった。だが国会(立法院)はまだ、国民党が治めている。民主化は道半ばだ。私が今やっていることは①二〇〇七年までに台湾の憲法をつくる(制憲運動)、②国号を「中華民国」から「台湾」に変える(正名運動)―これによって「台湾人」だと答える人を七五%まで高めることを目標にしています。
☆ 台湾人のための憲法づくり
―中華民国憲法は台湾人のためのものじゃない。新しい憲法制定こそ台湾正常化への道といっています。
○・・日本の憲法と台湾の憲法は根本的に違います。日本の憲法は占領下の憲法だが、それでも憲法を日本のためにつくった。国会も通した。しかし、中華民国の憲法はそもそも台湾人のためにつくられたものではない。中華民国憲法が一九四六年に大陸で制定された当事、台湾は法的には中国の領土でもなかった。中華民国は一九一二年に辛亥革命で誕生し、大清帝国を継承しましたが、そのとき、台湾は日本の領土でした。一九四五年にマッカーサーの命令に従い中華民国は台湾を軍事占領しましたが、国際法上の領土移転ではありませんでした。その後、中華民国は内戦に敗れ、一九四九年に蒋介石政権は台湾に逃れて、中華民国の看板を維持してそのまま中華民国憲法を使った。戒厳令でその憲法ですら停止され、総統も選挙はなく、国会議員も万年議員だった。私は一九九一年に万年議員にやめてもらって、一九九五年に総統は人民選挙とすることにした。 憲法は都合6回修正した。しかし、それでも不都合なので台湾人の憲法につくりかえるのが憲法制定の国民運動です。
台湾の政治は変わっても司法や教育の中身は変わっていない。人の心も変わっていない。これをただす。よく「現状維持」といいますが、それは現実から逃避するための無責任な意見です。
☆ 「中華民国は消滅した」
―台湾の国号は中華民国。つまり「中国」です。だが、それは虚構であって、最早、「中華民国は消滅した」と主張しました。
○・・中華民国は虚構の上に成り立って
います。大陸を追われたときに事実上、消滅していたのです。ところが台湾にあるのに憲法はモンゴルからチベットまでを領土と主張している。従って教育も台湾ではなくて大陸の歴史を教えてきた。
そして台湾にとっては、台湾が中華民国、つまり「中国」を名乗る限り、国際社会にも復帰できないし、中華人民共和国に「中国の一部」だという侵略の口実を与えることになる。日本だって、台湾が中国に併呑される危機にあっても中国の内政だといわれて手も足もでない。これではだめだというのが私の考えです。私は中華民国が虚構であることは最初から分かっていた。わかったうえで中華民国の総統として我慢して、台湾人の民主政治をやることを意図してやってきた。だからこれからは新たな憲法制定をめざす。新たな国を樹立する。そのためにもアイデンティティを75%までもっていくことが大切なのです。
中華民国の総統が自分をたたくわけにはいかないだろう。だから陳水扁総統は黙っていてもいい。この運動は政府がやるのではない。人民である我々がやる。私が憲法制定連盟で代表になったのはこれが最後の仕事だと思っているからです。私にはあと十年の時間があります。
☆ 「タイワニーズ YES!」
―台湾の正名運動には二百五十万人が結集して人間の鎖をつくりました。
○・・中国の併合という野望をあきらめさせるためにも中華民国の神話は終わりにしなくてはならない。そう思って始めた正名運動に最初十五万人が集まった。そしてしばらくして、二十五万人が集まった。さらに二〇〇四年の総統選前の2・28記念日には二百五十万人が集まって南北に「人間の鎖」をつくった。
人間の鎖は、人間の鎖の本家のバルト3国(注、旧ソ連から弾圧を受けながらも独立。台湾独立運動家らとの交流が深い)よりもっと素晴らしい盛り上がりだった。私たちは台湾の若者を教育し、教えることで人々に覚醒してもらう。どんどん教え込んでわかってもらう。恐怖ではなくて、教え込む。これ以上、中華民国の軍事占領を続けているわけにはいかない。中華民国は国際法上、台湾を占領しているだけだ。位牌をもって逃げてきただけだ。
(注、「人間の鎖」は、人々が一列に並んで手をつなぐもので、北部の基隆から台北、台中、高雄を経て最南端の屏東までつながった。陳水篇と李登輝の現前総統は中西部で合流し、それぞれ「手をつないで台湾を守り、民主の長城を作ろう」、「人民の力こそ台湾の希望だ」と演説した。参加者は、「チャイニーズ NO!」「タイワニーズ YES!」と叫んだ)
☆ 中国の主張は「強盗の論理」
―「中国を刺激するな」というのは強盗のいうことを聞けといっているに等しいと批判しました。
○・・アジアに危機をもたらしているのは中国です。国際社会でも台湾を支持するな、台湾が主権独立国家であることを認めるなと各国に圧力をかけていますが、これは「中国の武力行使に反対するな」といっているのと同じです。台湾に対しても独立したら戦争だという。さらに二〇〇〇年の「台湾白書」では「統一を拒んだら即戦争だ」というまでにエスカレートさせました。つまり「降伏しなければ攻撃するぞ」ということです。中国の主張は善良な人々から財産を強奪することを正当化する、いわば強盗の主張です。
中国の横暴な態度は国際社会でも反発を受けてはいますが、しかし肝心の台湾人民が「ひとつの中国」を掲げる中華民国体制を放棄せず、台中問題を内政問題と認めているのですから、各国もどう対処していいかわからなくなる。日本などもそうですが、武力で脅迫する中国には自制を求めず、逆に脅迫されている台湾に「中国を刺激するな」と要求するおかしな事態になっている。これではまるで小市民に「強盗のいうことを聞け」といっているようなものです。第二次世界大戦前夜にチェンバレンがヒットラーに妥協したことが、反って戦争を引き起こしたことを思い出さずにはいられません。だが、その一方でこのような倒錯的な状況をもたらしているもう一方の原因が「中華民国」であるのです。
☆ 急務の日台安全保障対話
―中国は「版図」と「領土」を取り違えている領土的野心旺盛な国。やがて沖縄も中国の一部と言い出しかねないと注意を喚起しました。
○・・中国は、大清帝国の領土はすべて中国の領土だという。イタリアがローマ帝国の版図を自分の領土だというようなものです。そんなこといっても誰も国際社会は相手にしないでしょう。だが、中国の主張はそうだ。私たちは中国の歴史観を知る必要があります。中国は今、尖閣諸島は自分のものだと言っている。次は琉球(沖縄)、そして朝鮮半島、やがて日本も中国の一部だといいはじめても不思議ではない。中国は太平洋に出て行く道をみつけようとしている。日中の武力衝突もあるかも知れないし、日本を押さえて米国と対立することになるかも知れない。
中国が万が一台湾を取得すればどのような事態になるでしょうか。台湾海峡は一日四百艘もの日本の貨物船が往来しています。その日本の海上輸送路を完全に扼することになります。逆に言えば台湾は、中国の軍事膨張を阻止する最大の拠点でもある。だからこそ中国はどうしても台湾を落としたいのですが、このように台湾が中国と切り離されている状態にあることは、地域の安定にも役立っている。この状態を今後も維持するためには、やはり台湾が正常国家になるしかない。そのときに本当の意味での「現状維持」も可能になるでしょう。台日両国はアジアでもっとも民主的な国どうしです。また、ともに海洋国家として一緒になって東アジアの平和と安定を守る必要があります。そのために今必要なことは台湾と日本の安全保障対話です。
☆ 中国に民主化は不可能
―チベット、新疆ウイグルなどを抑圧する中国に、民主主義など不可能、もし民主主義というなら分裂は不可避だと語りました。
○・・胡錦涛(主席)さんは一見、善良そうに見える。だが、中国の民主化は不可能だ。
民主化をやる気なら中国は七つぐらいに分割しないと無理だろう。分けて、競争すればいいが独裁者の頭をどう変えるかが問題だ。だいたい中国では人民はなにも知らない。天安門事件のとき私たちがどうしたか知っていますか?地方では北京でなにが起こっているか知らなかった。だから、台湾は、地方にファックスで、北京でこんなひどいことが起こっていると知らせた。中国大陸では毎日事件が起こっている。中国では人民の四%の人がエンジョイしている(豊かな生活を享受している)だけだ。人民になぜそうなっているかを知らせなければならない。
☆ 台湾の苦難を忘れた日本外交
―かつての祖国日本は、今は遠い国のような気がすると李登輝さんはいいます。
○・・台湾と日本との関係は、歴史的にみても、地理的にみても、あるいは安全保障や経済の面からみても、さらには両国民の感情の面からみても類例がないほど深いものがあります。しかし残念ながら両国の戦後の国家関係は非常に不正常です。確かに民間交流はとても盛んに行われていますが、政府間では関係というものがありません。正式な国家関係が打ち立てられないのはなぜかといえば最大の原因は「中国」です。この中国は何かといえば「中華人民共和国」と、「中華民国」です。
日本は一九七二年(昭和四十七)に中華人民共和国と国交を結びましたが、それ以前は中華民国を承認していました。しかし、中華民国は、大陸から台湾にやってきて台湾人を迫害したのですから、台湾人は忘れられた存在でした。日本人は蒋介石の「以徳報怨」にすっかりだまされたのです。しかし、蒋介石は賠償をとらなかったというが、在外の日本人の財産は全部奪われたわけだからそのことをはっきりさせなきゃあなりません。
日本が中華人民共和国と国交を樹立したことは何も異議はありません。日本としても仕方なかったかもしれない。だが、ひとつの中国という、中国の主張に「理解を示す」といったのは、余計なことじゃないか。もともと、マッカーサーの命を受けて、蒋介石は、台湾に軍をすすめたが、それは軍事占領に過ぎない。台湾は日本の統治があって、近代的でまともな国になった。それがいきなり、中国大陸に戻ったのはつらかった。日本は台湾人の苦難を忘れてしまった。忘れたのはいいが、ひとつの中国を理解するというのは受け入れられない。日本でも人権をいうひとが多いが人権というなら、台湾人の人権を考えて欲しい。
日本政府は、かつては蒋介石政権とつき合い、現在は中共政権とつきあっているが、どちらの独裁政権も全中国を代表すると強弁し、台湾人民の生命、財産を脅かしてきた連中です。これらを黙認してきたことは日本政府の道徳上の汚点とはいえないでしょうか。
☆ 台湾は日本の生命線
―北朝鮮との国交樹立に真剣で台湾のことは忘れているとの言葉に実感がこもりました。
○・・それに日本は拉致までする北朝鮮との国交樹立にばかり一生懸命になって、世界でもっとも友好国家である台湾のことは忘れています。歴史的にも地理的にも感情的にも関係は深い。もっとも親中的な橋本内閣ですら、周辺有事が問題になったときに、台湾海峡のことに触れざるをえなかった、それほど深い関係なのです。ほんとうに日本と台湾の間は百キロもないのです。一九九六年の総統選挙に干渉した中国のミサイルは与那国島と台湾の間に落下しました。
それなのに現実は遠い国のような気がする。 日本の国民は日本政府と明らかに態度は違います。大勢の日本人は歴史への感情や国益の観点から、台湾が日本の生命線であることを理解しています。しかし政策の上では台湾はまったく無視されています。
☆ 武士道は世界の財産
―李登輝さんは将来の世界のリーダーは日本しかないといいます。しかし、現在の日本は誇るべき伝統的な価値観を否定していると率直に批判しました。
○・・日本の外務省の役人は国益よりも個人の地位保全が重要なのだろう。奉天(今の瀋陽)の総領事館であれだけひどいことをされても黙り込んでいる(注、二〇〇二・六 脱北者の駆け込み事件)。やっかいなことには蓋なのであろう。日本には虚無感が漂っている。政治の衰退、官僚の衰退。だがこれは困ったことだ。日本の衰退はアジアの危機につながる。だから私は、「武士道解題」(小学館)を書いたのです。武士道こそ日本の最高の道徳規範であり、世界の財産でもあるからです。皆さん、武士道を忘れちゃあいけませんよ。
武士道は「公に奉じる精神」です。将来の世界は、こういう道徳のある国、道義の体系を持つ国、信用される国がリーダーになるべきだ。それは武士道を持った日本しかないのです。これに対して、一番嘘つきなのが中国だ。
ですから日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならないと思うのです。そのためには日本人はもっと自信と信念を持つことです。かつて「武士道」を築き上げた民族の血を引いていることを誇るべきなのです。
☆ 東京裁判史観を信奉する日本人
―李登輝さんは自国の伝統を尊重できない人間に国益を守ろうという気概は出てこないと警告しました。
○・・日本が台湾を無視するのは、はっきりいえば日本の政策は、日本の国益ではなく中国の国益を追求しているからです。戦後の日本社会は、敗戦のショックと東京裁判史観の影響で、戦前の体制だけではなく、伝統的な価値観まで否定する風潮に包まれました。この思潮は教育やメディアを通じて国民の間に広まり、反日思想を醸成しました。このようなものが教育界、文化界、政界、官界に根づいてしまっていることこそ、日本にとっては最大の危機であるといっても過言ではありません。
これでは若い世代は自分の国を愛することなど出来ません。現在、日本で虚無感が漂っているのもそのためでしょう。政治家や官僚に国益を守ろうという気概がないのも同じことです。私はこうした現状を非常に心配しています。日本の衰退は自由主義国家、平和愛好国家、または、伝統的価値観の衰退につながるからです。
☆ 台湾にも「反台」思想 ―台湾の精神状況は、日本と似ていると李登輝さんはいいます。
○・・日本と同じような危機的な状況は台湾にもみられるのです。戦後の台湾は蒋介石政権の高圧的な軍事独裁下に置かれました。「2・28」事件では、多くのエリートが虐殺されましたが、それはまさしく中国人政権による文化、思想上の民族浄化政策だったのです。台湾人は全く理解できない北京語を押し付けられ、日本時代に日本語の近代教育によって育まれた知識や教養は一夜にして無用の長物になりました。それどころか、それまでの価値観、文化、知識は日本の奴隷化教育による敵国思想の産物だとして否定されたわけです。こうしたことが台湾の戦後社会に価値観の混乱や倒錯をもたらしたのです。実際、戒厳令のときには中華民国を批判するような話をすれば自宅に帰れなかった。
そのうえ中国式の中国人教育が行われ、反日・反台思想が植えつけられてきたわけですから、台湾のアイデンティティは失われてしまいます。戦後教育をまともに受けたいまの五十歳代が一番悪い。ですから私は総統を辞めてから台湾の歴史の本を八冊もつくったほどです。大切なのは教育です。もっとも最近になって、台湾も日本と同じように自国の歴史、文化を見直そうという傾向が出てきたことはとても喜ばしいことです。
☆ 最後に問われるのは人間の魂
―リーダーとして心がける大事なこととして李登輝さんはこんな発言をしました。
○・・リーダーとして一番心がけてきたことは、ますは信仰です。主観、客観を超えて神様がいるということです。それに公義の精神。伝統的な文化、考え方というものもいつも持っていなければならない。そして最後は人間の魂じゃないか。
(※日本語で行われた講義、あいさつ、質疑をひとつにまとめたものです。李登輝学校の問い合わせは「日本李登輝友の会」へ 電話03-5211-8838 http://www.ritouki.jp/)
=上の文章は漁火新聞2005・2月号に掲載したものです。
2014年2月22日土曜日
2月22日は竹島の日!
2月22日は「竹島の日」です。政府は今年も県主催式典に政務官を派遣するようですが、領土担当相がいながら政務官とは、竹島を不法占拠する韓国に配慮したのでしょうか。自民党の総選挙の公約が竹島の日を、建国記念日、主権回復記念日ととともに政府主催の式典にするということでしたから、残念といわざるを得ません。実は、「竹島の日」も、地元住民の運動に島根県議の有志が呼応して条例制定に至ったもので、当時の政府や国会議員、マスメディアは一貫して冷淡でした。以下は、『VOICE』(平成17年6月号)に寄稿した「竹島の日」制定の経緯です。
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